活動の年次記録

出前授業「新小岩の今昔と水害」

平成27年度前期葛飾区地域活動団体助成事業「親子で語り継ぐ大水害時の避難について」
葛飾教育の日「松上小学校第6学年』出前授業報告
 
日時:平成27年12月12日(土)
場所:新小岩学園「松上小学校」集会室
講師:寺島玄先生
テーマ:「新小岩の今昔と水害」
 
師走とは思えない暖かな12月12日(土)ひっそりとした集会室は、生徒の椅子を持ち込む音と、互いの話声で急に賑やかとなった。
先生の「起立!」の一声で、一斉に「お願いします。」の元気な挨拶で授業が始まった。講師は「皆さんと同じ頃の私の自慢は中川に2回、どぶへ1回落ちたことです。」と意表を突く自己紹介で始まった。
 
 
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「私は皆さんが大きくなって世界に羽ばたいた時、新小岩はこんなに素晴らしい街なのだと言って貰える様な話をします。そこで4つのキーワード、1つは荒川が出来た。2つは新小岩駅が開業した。3つは葛飾区役所となった。4つ目は大工場撤退。」です。
昔、上平井は水田地帯でコメ作りが行われていたものの、「新小岩のコメは三度びっくりで稲がひょろ長く、稲穂の実が少なく、脱穀しても実が入ってない。」と言われた。
 
処が農家では秋から冬に、ひょろ長いイネを正月用のしめ縄として浅草、帝釈天などで高く売っていた。
一方夏は、アシ・ヨシで漉(すく)フ海苔を作り売りさばき、全国の9割を生産していた。
「学校の直ぐ近くに祠があるのを皆さん知ってる?」と聞くと生徒の何人かが知っていた。
「祠を地元の人は『銭神様』と言って崇(あが)め・拝んでいますが何故?」
この質問には誰も答えないので、「この祠はその昔、人影は見えず千両箱だけが残っていた難破船を祀(まつ)ったものです。そして千両箱がむらの飢饉を救ったりもしたからです。」と、講師は明かしました。
 
近代に入った新小岩は「関東大震災後逸早く東京都が工業地区に指定した結果、大小の工場が進出し、大勢人が集まり、新小岩駅も出来やがて、それまで東葛飾郡だったが葛飾区となり、金町浄水場の水を約四割も安く飲めるようになり、病院も建ち続いて、第二次世界大戦中、新小岩の工場からアメリカの『B-29』を撃ち落とせる『キ-94』の部品を作って金町へ送ったりし更に、象牙の代わりになるセルロイドを作り、高い値段でヨーロッパへ輸出したりもしました。」
 
この間、生徒達は見るもの聞くものが全て初めてのせいか、画面に吸い寄せられ、食い入るように講師の話に聞き入っている間に休憩となった。
20分間、教室内は窮屈そうになった椅子から立ち上がりグループで喋ったり、互いに指を使ったゲームをしたりと様々な遊びが繰り広げられた。
 
休憩後先生の「始めます!」の声と共に教室内は静まり返り、講師は黒板に手早く関東一円の地図を書き「カスリーン台風」でなぜここが3.80mも浸水したかを説明した。
 
殊に地盤沈下が左程大きくなかった時の3.80mの浸水深だから今ならどの位の深さになるかなと問題を投げかけたが生徒は、想像すらできない様子だった。
 
又、講師は当時上平井に住み何週間も水に浸かり、水上生活を送りながらその様子をノートに描き続けた方の絵を画面で次々と紹介した。
流される平和橋、着物を頭に載せ水の中裸で助けを待つ女の人、食料を配るアメリカのボート、屋根での生活・・これらの絵は生徒を釘付けにした。
 
一方、水が引かなかった間、隣近所との助け合いや飲み水のバケツリレー等ではコミュニケーションによる絆が深まり、避難所では全ての人が個性・特徴を生かしてスターになれる機会があったと力説された。
 
現在の新小岩は、大工場が撤退し、その跡地に大規模公園や住宅団地ができ、水害も殆んどなく「カスリーン台風」の避難所生活で培われた人情豊かな街、防災・避難訓練で日本一進んでいる街、荒川以東で最大の街となっていると説明した。
 
最後に、「大きくなって世界で活躍される際、誇れる街、『新小岩』を宣伝して下さい。
そのためにも勉強をして下さい。」と結ばれた。
 
それまで後ろの席に座り、熱心にメモされていた校長先生が「皆さんが知らない街の歴史と水害に何度も見舞われ、今に至っている新小岩が分かって本当に良かったですね。これらをこれからの勉強に生かして下さい。」と挨拶され、先生と生徒全員の「有難う御座いました!」のお礼の言葉と拍手で90分間授業は終了した。
 
 本授業を開催するに当たり校長先生、副校長先生、第6学年担任の先生方のお力に、心より感謝申上げます。
 有難う御座いました。
 
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ア!安全・快適街づくり  増澤
 
 
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